目の前の人に『ん?』
と感じるときがある。
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先日感じたのは、ランゲージエクスチェンジと言って、日本語を学びたいアメリカ人と、英語を学びたい私が教え合うというかコミュニケーションを取り合った時のこと。

私のパートナーのチャールズとは約半年間、週一回1、2時間会っているのだけど、語学学校生ではなくなった私は取り立てて宿題に追われることもなくなり、チャールズの宿題を主にとりくんでいる。
音楽のカンパニーを経営している彼は、今はこっちのテレビなどの楽曲を決めたりするお仕事をしているのだけれど、いずれ日本でビジネスがしたいという事で3年ほど日本語を勉強している。

で、このチャールズとのミーティングとの時に、『ん?』が炸裂した。

テキストに載ってある文章って日常ではほとんど使わない言い回しだったりして、映画でいうとナレーション役のセリフみたいな感じばかりで、登場人物のセリフがいっこうに出て来ないんだけれど
よーーく考えてみると、いつ誰に説明すんだよ!と突っ込みをいれたくなるような内容なこともある。

尚のこと日本語は、漢字もあるので、チャールズは大変な言語を学ぼうとしているのだけれど、何度も同じページに出てきている『診察』と『問診』という漢字を読めず、この違いが解らない彼は、『くそーーー。。』『だめです』といって苛立ち&落ち込んでいたのだ。
知っててこしたことはないけれど、いざとなったら、『病院に行って先生にみてもらう』って言えればいいし。

私は全然だめでもいらだつことでもないと思った。むしろどうでもいいっていうか、ん?なんか違うってか、なんで落ち込むのだろう?って思った。

その日の帰り道、ふと私にとって言葉って何のためのものなんだろうって思った。

もちろん単語一つ覚えることはとても大切だし文法もしかりやっぱり外せない行程ではあると思うのだけれど、知識を増やすことと、表現することのバランスがとっても大切ってか、自分が発した言葉って発した意図がどうであれ、発した時点でもう相手のものとなって、コミュミケーションが成り立つわけで、◯×、、、、、◯×□ ぐちゃぐちゃ。。。うーむ

今でこそ、適当になった英語への向き合いかただけれど、チャールズを見てるとかつての自分を見ているみたいでなんかかはっとした。覚えれて楽しいうれしいってことより、伝えられて解り合えて楽しいことのほうが大切なんじゃないか、なんか、その日のチャールズは、どことなく苦しそうだなーーーて。そして、最後に行き着いたところは、

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言葉って

誰かを説得したり、おびやかしたり、見せつけたりするためのものではなくて、
誰かと共有したり、発したり聞いたり誰かの中で生きていくようなものなんじゃないかって。
いつか誰かの言葉に救われたように、もしかするといつか誰かの役にたつかもしれない。

そのためには、いっぱい溜めて大切にしまっておくよりもきっと、『生かす』活動をすると良いのかもしれないって思った。
生かす活動の中には、すんなり上手くいかない時もあるかもしれないし、誤解を生み落ち込むときもあるのかもしれない。
でも伝わるものの中には必ずある、
魂みたいなもの。
うねうねした生き物。こいつばかしは、知識より威力がすごい

言葉だけじゃなくて、

何にでも共通していることなのかもしれないなって。
自分の中で腑におちた。

『ん?』と思った相手はチャールズじゃなかった。
おそらく自分の中にあったんだと思う。

本当に言葉を伝えることとか、何かを説明することがとても上手くないのだけれ
『ん?』の中には気づくべき大きなものを感じました。

チャールズと出会えてよかった。
今度はドラえもんについて話したいな
彼、好きだっていってたから。w

3月もみんなにとって素敵な月になりますように。

それでは。また♪